都市と記憶

夜の高速道路を南仏の方からパリまでずっと走らせていくと、暗い夜空がオレンジの光で徐々に明るくなっていく。その光の中心がフランスの首都であるパリであり、ヨーロッパの中心だ。
光り輝く大都市に車が向かっていく途中で、この光は人々の光の集合体なのだと気付かされる。

パリに人が集まりだしたのは、そんなに古いことではない。
ゴシック建築が建設される頃に、大幅に人口が増加したのだ。その理由の一つは、それまでの農村でとれる作物が減り、狩猟できる動物も減ってきた為に仕事を求めていたからであった。

都市が形成されるにあたって、建物だけに目が囚われがちだが、都市というのは人の集合体である。個人から家族、家族から町、街から都市になり、そして国家へと形を大きくしていくが、人の集まりによって作られていることには変わりがない。
人というのは物質的な人というのももちろんなのだが、人の思想が街を形成しているのではないだろうか。
街を見れば人が分かるように、人々の考え方がそのまま街を作っている。

パリではナポレオン三世の時代に大きな都市改造があった。それによって道が広められ、治安は向上し、あれだけの土地に効率的に人が住めるようになったのだ。それまで、電灯もガス灯もない夜道では犯罪が横溢し、道の細さによって心理的にそれを一層悪化させていた。犯罪というのはいつの時代も場所や国を問わず、暗い所で頻繁に行われてしまうものらしい。
時代によって変化していく都市もそうだが、新しく作られてる街にも作られる時代の風潮や思想が出てくる。そういった意味で、その当時に莫大な人口を抱えながら、清潔さと活気を持ち合わせた江戸は都市の成功例の一つではないだろうか。
その点、同じ場所でも東京と呼んだ際には大きな違いがある。明治以降に作られた東京という思想の塊は、それまでの歴史を踏襲することなしに近代都市を作り上げた。その原因の一つが、文明開化もそうだが、それよりも東京大空襲ではないかと僕は思っている。

人の記憶は変化するものである。
5歳児の時の記憶は、その後に親に話されたことを勝手に映像化し創り上げた記憶映像であることも多い。おばちゃんの証言が裁判で信憑性が欠けるとされることも多いように、記憶は不確かで変化するものなのである。
歴史的な概念が存在するようになったのは実はここ百数年の話で、それまでは歴史という概念が今のような形になっていなかった。それまでの歴史も人間の記憶と同じように、曖昧で不確なものだったようである。

人がその不確かな記憶を蘇らせる要因はいくつかある。
よく言うように、香りがその当時の光景を思い出させてくれることもあるし、かつて見た風景を目前にして幼少時期の記憶が蘇ってくることがある。人の記憶を呼び起こす装置として存在する全ての現象は、触れた瞬間に科学反応を起こして僕らの脳に直接呼びかけてくる。

都市というのは建物の集合体というだけではなく、同時に人の記憶の集合体だ。都市が破壊されることは同時に記憶を失い、歴史も薄らいでいくことなのだ。現に広島出身の友人は、昔の話を聞いても、原爆以前の話が出てこないと言っている。原爆で破壊された街や、亡くなってしまった人と同時に、感覚的な歴史概念も同時に失ってしまったのだ。

マリー・ローランサンの詩の一節で、「死んだ女より もっと哀れなのは 忘れられた女です」というのがあるが、死んでも記憶には残るが、忘れられるというのは存在そのものがなくなったに等しいのだ。

古いものが壊され、どんどん新しい道路や建物が作られて変わりゆく都市を見ていると、便利な反面で記憶を呼び起こす装置としての街と記憶を同時に失うんではないかという懸念が生まれる。
誇りというのは歴史や文化から得てもいいのではないか。

久しぶりに日本に帰ってそんなことを考えていた。
ぼくらが生きている現在よりも長いスパンで時間を捉えて学ぶことは多いように思う。

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この文章は今度展示する作品を作る前に書いたもので、日本滞在時に電車の中でさらっと書いたものです。
今よりも随分と抽象的に考えていて、この時に考えていたのを寝かせて作品化しました。
形にするまでに何年もかかり思った以上に遠回りしました。

このシリーズでの都市の形成と記憶の問題や、前のシリーズでの人間の不在と実在の問題は、去年の震災以降は特に繊細な問題になっているのと同時にとても大切なことなのではないかと思わされています。
人が本来持っているもの、大切にしているもの、それを見失いかけているものがあるのではないでしょうか。
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by masarumizushima | 2012-04-24 06:53 | 日記

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