10年目

季節は卒業の時期、日本では早めの桜が咲いたそうで、まもなく新学期が始まろうとしている今日。
9年前、冬時間が終った次の日、僕は初めての海外旅行でパリに来て、 今日でパリ生活10年目に突入する。

20歳だった僕は、何も知らず、何も知らないことが強みとなって前へ前へと進んでいた。いつも人より失敗して、数多くの失敗を重ねることでゆっくりながら歩んできた。失敗することの怖さも知らず、何でもやれば何とかなるという根拠のない自信を持って旅立った。
かつて考えた10年後の自分とは全然違う人生を歩んでいるし、かつての価値観でいえば上手くいってない人生かもしれないが、当時の僕が想像していた以上に人生の喜びも悲しみも知り、人生がより深いものになってきている。
人は環境によって影響を受け、考え方も行き方もいつの間にか以前とはまったく違っている。人は自分自信が変化していることを自覚することは稀で、変化することも自分で選んでいるようだが、人が選べるのは環境であって、自分を変化させることは思っている以上に難しい。
僕もパリに来てから、自分で思っていた以上にフランスやパリの影響を受けている。いつの間にか健康志向になり、食べることが人生の喜びになっているし、運動することも喜びの一つになっている。日本に居た頃は一つのことを極めることにしか目がいっていなかったが、現在では多様な中から優先順位を決めている。

年々、大切なものが増えてきて、それによって人生が複雑になっていっているのを肌で感じるし、この先それがどんどん重たくなっていくのは容易に想像がつく。失うことの恐ろしさも、実体験を通して味わってきている。
人は必ず死ぬものだと頭で分かっていながら、感情はそうはいかない。現実味のない状態では死は当たり前で、受け入れるしかないものなんだから割り切るしかないと思っていても、そう簡単に悲しみを取り払うことは出来ない。
現在では、多くの人は病院で生まれ、そして病院で亡くなっていく。人の生と死がより遠くなり、SNSによって知らされる死も現実から遠ざかっていく。亡くなったことを知らない人はいつまでも生きているように思ってしまう。いつか会おうと思っていた人にも、もう会うことが出来ない。その人を大切に想えば想うほど辛く悲しいわけで、大切に想える人がいたということはとても喜ばしいことだったように思う。だから悲しむことは悪くないし、悲しみをうちに秘めて生きる人生も悪くないように思う。
この数年でそのくらい人生が生々しいものになった。そして、どんどん複雑になっていく人生を内包しながら、同時にシンプルになっていくという一見矛盾した方向にもいっていることに気付く。何をしようと時間は止まることなく動きつづけ、人も少しずつ善悪問わずに変化していく。
これから先の未来にはきっと悲しいこともあるし、きっと楽しいこともある。明るい未来も暗い未来も存在し、そのどちらかを見て未来を悲観視したり楽観視しているわけだが、確実に言えることは割合の問題で、100%楽しい未来も100%暗い未来も存在しない。
悲しさを受け止めながら、その割合を少しでも変化させて明るい未来への一歩を出し続けることが、この先も人生にも必要なことだと感じている。

今までは出された答えにいかに誠実に努力していくかということが大事だったが、これからは自分が仮定した答えに対して開拓者にように一歩一歩を踏み出していかなければいけない。30代を迎えるにあたって、その一歩を出し続けることの重要さを身にしみて味わっている。

すべて分かった上で、譲れないものは譲れないと頑固に変人になる道もありだし、人の為になるようバランスよく人を喜ばせるような道もありだと思う。やっとスタートに立とうとしている感じがしているし、この先の道はいくらでも広がっている。

「悲観主義は気分によるものであり、楽観主義は意思によるものである。気分というものは、正確に言えばいつも悪いものなのだ。だから、幸福とはすべて意思と自己克服によるものなのだ」
アラン

冬を死に例えるなら、春は再生である。
季節の春と共に、心もリフレッシュして初心を思い出し、踏み出す一歩をなるべく大きなものにしようと思う。
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by masarumizushima | 2013-03-26 09:00 | 日記

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