夢の続き


先日こんな夢を見ました。

僕は郊外にある洋館に入る。
そこはとても不気味でドラキュラが住んでいてもおかしくないような家だった。
その洋館が何なのか分からないが、入ってしまったので進んでいくと、僕は幽霊なのか化け物なのか人間なのか何なのか分からない館の主に突然鎌で首を切られる。
血が噴き出し、息もできずに苦しみ、痛くて意識が朦朧とする中でこれが死なのかと実感する。そして目のは白いモヤがかかってきて、そのまま白い世界に旅立つ。そう、それが死だった。
するとなぜか次の瞬間、僕はまた館の入り口に立っている。館に入った時の状態に逆戻り。
出ようとしても出口は閉まったままでどこからも出ることは出来ない。館の出口を探しているうちに僕はまた殺される。
死ぬとまた館の入り口に立っている。
そしてまた殺される。それを何度も繰り返す。
精神は疲れはて、時間がたてば絶対的に訪れる死という終わらない恐怖と死ぬ時の苦痛を何度も味わいながらも僕は少しずつ謎を解いて行く。
何度死んだか分からなくなった頃に、死神のような洋館の主に追いかけられながらもやっと地下室で出口の鍵を見つけ、一緒にいた女性(なぜか突然登場)と共に館を抜け出し赤いスポーツカーで夜の街を走り出す。
これでやっと解放されたと安心した時、何か後ろにいると感じて振り向くと奴がいる。その瞬間、奴は僕に襲いかかり、車は爆発してしまう。


そこで目が覚めた。
それが数日前の夢である。

夢占いで占った結果はとても良いのだが、そんなものでは納得いかない恐怖である。
寝る時に、今の現実が夢だったのではないかと思ってしまったりする。
また死を繰り返し体験しなければいけないのではないか。
起きた時、あの夢の続きではないかと思ってしまう。

夢ながら何度も死ぬなんていうのは精神的に良くないのではないだろうか。
夢というのは人間の精神のバランスを整える為にあるようであるが、それにしてはちょっと過激すぎる。
それほど僕の精神がおかしくなっていたのかもしれないのでしょうが、だからといって納得は出来ないものである。

まぁしかし、そんな感情的な話はおいておいて話を進めていこう。
この夢の中で僕は一晩の間に殺され、その一晩を延々と繰り返していく。
その一晩の幻を人生に置き換えるとすならば、僕らは一生というものを繰り返しているのかもしれない。
必ずやってくる「死」と「誕生」
僕の夢と大きく違う点としては、僕は死ぬ前の記憶があるという点である。
だからこそ、死ぬ事が分かっているから謎を解こうとするし、死に恐怖するのである。
しかし誰もがそうだと思うが死を体験したことなどないので死に恐怖することはないのである。体験出来るとするなら九死に一生を得た体験くらいのものであろう。

誰かが言っていたのだが、「人は毎日同じ事を繰り返しているだけだ。」と。
確かにその通りかもしれない。
毎朝起きて、仕事をしたり学校に行ったりして、昼飯を食べ、夕飯を食べ、寝る。
たまに別の事もするがサイクルに入ってしまえば同じようなものである。
それに対して悲観的に思うつもりはない。人は習慣化すると楽になる。それは僕の経験でそう思うのである。
例えば、僕は目的もなく行動するのが苦手である。
散歩も「どこまで行く」と決めないと行けないくらい苦手なのである。
それなのだが、一時毎日走る事にした。
結局四ヶ月ほど経ってから痩せるのが嫌で止めたのだが、その四ヶ月間走るのが好きだったことはない。楽しいと感じたこともないかもしれない。
ただ習慣にしただけである。

習慣にすれば出来る事というのは他にも沢山ある。
僕が洗い物が出来ないのも、食後すぐに洗うという習慣がないという情けないことなのだ。
ある年上の女性に「それは洗いなさい」とアッサリと言われたのだが、正にその通りである。

人は生きることを習慣にしている。
そんな事は当たり前なのだが、当たり前の事を当然のようにするというのは難しいものである。
戦争や、昨今の自殺率の上昇など、障害は数多い。
寿命というのはどんどん伸びていて、生きるなんて簡単だと言う人も多いかもしれないが、繰り返し一生を何度も生きているとした場合、僕らは言葉の通り『生き生き』と生きなければならない。それこそが本当に生きているということではないだろうか。
それは当然であるし、必然である。

生きているからこそ「死」を考え、問題にする。
死を美化するわけではないが、死の美化というのは生きることの美化と同意義であると言えるのではないだろうか。
美しく生きていないと死は醜くなってしまう。
美しく生きていたからこそ死まで美しくなる。
終わりよければすべて良しと言うが、報われた努力というのは、報われる以前から良いものであるし、当然行わなければいけないことなのだと僕は思うのである。

生きるのは大変だし、辛い。
しかし強く生きなければいけない義務があるのではないだろうか。
強く生きる事を放棄した時、人は醜く歪んでいくのではないだろうか。
当たり前のように強く生きる人々こそ美しい。

「美しい」を連呼してしまいましたが、綺麗な事ではなく美しいということは僕にとってはとても重要で素晴らしいことだと思う。
綺麗の価値観は時代や感情でも変わるものだが、美しいと感じることは普遍ではないだろうか。
変わらないから良い、すべての人の共通するから良いというわけではないけれど、心が満たされる事や喜び幸せに感じるというのは生きる上で必須ではないかと思われる。
それを求めずして生きる事など僕は不可能なのではないかと思う。


最初に書いた夢を見ている間、僕はあまりの恐怖に何度か起きてしまった。
しかし夢は起きる前の続きから始まり、終わることがなかった。

一夜の夢の続きに僕はまだ生きている。
無事に洋館から脱出することが出来るのだろうか。

僕自身は脱出することを願ってやまない。
[PR]
by masarumizushima | 2007-03-13 09:12 | 日記

文字と言葉


by masarumizushima
プロフィールを見る
画像一覧