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後悔という事


あの時あれをすれば良かったなどと後悔する事がある。
後悔など滅多にするものではないが、たまにあの頃にこれを知っていれば自分にとってどれだけ糧となかったと思う事がある。
その都度、誰かに勧められているのに若さからか我侭なのか自分の好きなことしかやってこなかったとこに今更ながらバカだったんだと思ってしまう。

例えば、英語の先生が嫌いだったから話なんて聞きたくなかったとか。テストなんてテスト前の5分だけ適当に目を通せば赤点なんて取りようがないと向上心の欠片もなかった事など思い出してみればキリがない。その時の自分の性格からしたらしょうがなかったのだろうけども、もし、それが可能だったらと夢見てしまうことがある。

もちろん、幼い頃の悩みなんて今からしたらどうでもいい問題だし、当時の自分からしたら重要な問題だったりする。しかし、将来に希望を持ち、尊敬出来る人に勧められていたら話は別だったかもしれない。そういう人に出会う事が出来なかった運の悪さも自分の傲慢さもしょうがないのだけど、怒りを感じる。感情論でしか物事を考えていなかった自分の愚かさに今になって気付いている。もちろんそれなりに良かった事も沢山あるし、それで学べた事も沢山ある。だから否定しているわけではなくて、もう少し幅広く物事を見れていたらと思ってしまうのだ。

写真を学ぶために東京に行くと決めて、東京にいく数ヶ月前に親戚の人に「世界を見ろ」と言われた。当時、東京に行く事しか頭になかった僕にとってはそれはそれは衝撃的な一言であった。それまでそんな事は考えたことすらなかったからだ。カナダ人にもオーストラリア人にもロシア人にも会った事があったのにもかかわらず、外人と言えばなぜかアメリカ人の事で、金髪で英語だと思うほどの田舎者だった。世界には色々な国があるのも分かっていたし、地理は得意だったので国名も首都もよく頭では分かっているのだが、感覚的に分かっていなかったという事だと思う。それが気付いてみればその言葉を言われてから約二年後にはパリに来てしまったから笑える話である。

人にはそういった「キッカケ」というものがあるのだろう。キッカケという引き金を引く前に準備をしている事は確かで、キッカケというものはただのキッカケに過ぎない。種も蒔かずに収穫は出来ない。そのキッカケを問題にしてしまうことも多々あるが、相談事と一緒で相談する時には自分の中では答えが出てしまっている事と同じようなものだろう。

いつものようにここまでは前フリなのですが、ここまで思ってしまう本に出会った。なぜ、これを今まで手にしなかったのだろうか。出会いは学生時代にもあったし、その後も出会うチャンスはいくらでもあったのにも関わらず今まで読む事ができなかった。逆に今だからこそ頭に入ってくるということもあるのだろうけれど、少し悔しいのである。
その本は「明るい部屋」著ロラン・バルト。
まだ読んだ事なかったのかとバカにされてしまうだろう。写真論で一番有名で写真を勉強する人はまずこの本を読むと言っては過言ではない本である。僕も学生時代に「明るい部屋」と「写真論」著スーザンソンタグと「複製技術時代における芸術作品」著ベンヤミンは読めと言われたものである。しかし学生時代はバカだったせいもあり『好き嫌い』でも物事を判断することが出来なかったのもあってそんな何とか論など博物館にある『死んだ物』でしかないと思っていたフシもあり興味のかけらすらも持てなかったのである。ましてや世界的に有名な写真論の本である。固くて重くてどうでも良い事しか書いてないのではないかと勝手に思っていたのである。バルトがどんな人かも調べもせずである。まったく馬鹿げた話なのだが当時の僕はそう思っていたのだからしょうがないものである。
僕が「明るい部屋」を読む前の下地として、バルトの本はいくつか読んだし、ベンヤミンの本も偶然ながら読んだ。ベンヤミンの本に関しては他に読みたい物があって、そのおまけ程度で読んだ。そこから初めて写真論というものに興味を持ち出したのである。学生時代に○沢さんの写真論を読んだ時は面白いながらもどこか死臭が漂っていて、写真論なんていうものはこんなもので、こんなものなら読む必要はないなどと思ってしまった。今、改めて読み直したら昔よりもずっと面白いと感じるかもしれない。
昔から行動してからじゃないと頭に入ってこないのは、引き出しを沢山持っていざ行動する時にそれを生かせる頭の良い人から見たらとても頭の悪い事なんだと自分でもハッキリと感じている。それをつくづく痛感したのである。
未だ読んだ事がない人はぜひ読んでみて下さい。
バルトの本は私的な感情論なのですが、私的な感情論を論理的に言っている所が僕はとても好きである。
だからこそ情けない。バルトの「エッフェル塔」が面白いとか言う前に写真論を読んどけよと(笑)
評論家でもないし、評論家になりたいと思う事もないけれど、写真を始めたばかりの頃の可能性を自ら否定するような行為というのはバカバカしくて仕方がない。初心が全てではないが、たまに初心を思い出すというのは精神的に良いこともある。もちろん安易に楽しい事が良いと言いたいわけでないし、本当に面白い事というのはとても大変も付きまとうのは仕方がないのだが、あの時の喜びと根拠のない自信というのは相対的にしか物事を考える事が出来ない者によって打ち砕かれるものではないのである。

この本を読んでまた写真が好きになった気がする。
ここ最近いつのまにか好きという感情を忘れていたのかもしれない。
以前「明るい部屋」は古典だと笑われた事もあったのだが、まずは古典から始めてみましょう。少しずつ。

珍しく後悔などというものをしてみた。
今まで後悔するという事を、現在を肯定的に見る事が出来ない愚かな行為だと思っていた部分も少なからずあるが、後悔とは肯定的にもとれる言葉であると今になって初めて気付いた。言葉とは面白いものである。
by masarumizushima | 2007-03-14 09:10 | 日記

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