カテゴリ:本( 8 )

D'où venons-nous ? Que sommes-nous ? Où allons-nous ?

久しぶりに小説を読んだ。
以前からファンである有吉玉青さんの「ぼくらはきっとすごい大人になる」を本屋で見つけ、つい手にとってしまったので、その勢いのまま電車の中ですぐに読み終わってしまった。
有吉さんの短編が特に好きで、短いからこそ、すっと流れていく心の揺れ動きが僕の心をさらりとなでていく。

日本に戻ってきて最初になんとなくこの本を選んだのは、友人が「30だし若々しいことをしよう」という連絡をくれたのがきっかけになったからだ。
記憶というのは不思議なもので、場所によってそれぞれに記憶が蓄積されているような気がする。
東京で10年以上住んでいる友人達にとって10年前というのはかなり前のようだけれども、ぼくにとってはついこの間のような気がする。僕にとって10年前のパリは遠い昔のようで、12年前の東京というのはつい最近のような気がしている。
さすがに高校生だったころがつい最近のことのようだとまでは思わないが、なんとも不思議な気分にさせられている。

滞在一週間目は観光客のような気分で東京や日本を見れているのだが、二週間も経つと現実味を帯びてきてギャップに苦しむことも出てくる。
祖国である日本で、しかも20年も住んでいた土地でここまでギャップを感じることになるとは予想もしていなかったが、ラーメンをすすって食べれなくなっている時点で気付くべきだったのかもしれない。

僕は幼い頃に大人になる自分をまったく想像出来なかった。きっとみんなそうだろう。あんな大人にはなりたくないと思っていた大人に、今の子供から見られているかもしれない。
いつの間にか年齢を重ね、いつの間にか大人の仲間入りをしている。
それは一体いつからなんだろう。

そんなことを思いながらこの小説を読んだ。
小学生が主人公の短編6編。
この小説を読んで、かつての自分の姿を思い出した。
それと同時に、すぎてしまった時間の多さにも気付かされた。

「われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか」というゴーギャンの絵を思い出す。 ゴーギャンはこの絵を描いた後にゴーギャンは自殺未遂をしてるわけだが、どこへ行くのかとい未来のことを考える上で、年齢の差というのは今まで思っていた以上に大きいように思う。

ナポレオンは「愚人は過去を、賢人は現在を、狂人は未来を語る。」と言っていますが、未来のことを語り続けるというのは狂人にしか出来ないのだろう。
そう思うと自分で自分のことを「ごく一般的な普通の人」と思っているので、生きるか死ぬか紙一重の狂いというところで生きれる自信がないので、普通の人生をこの先も送っていくような気がしてる。

小説の話に戻ると、小学生にとって未来というのは根拠なく明るいものであるし、そうあるべきものである。
しかし子供は大人が思っている以上に大人で、そしてちゃんと子供である。
その大人と子供の二面性のバランスが、年齢を重ねた今では大人の部分が多くなっただけで、未だに子供の面も沢山ある。そしてそのままおじいちゃんになって亡くなるのだろう。
自分で自覚することなくいつの間にか変わってしまったバランスを、この小説を読むことで思い出し、電車の中でぽろりと涙してしまった。

それは単純に感動したとかそんなことではなくて、いつの間にか忘れてしまっていた僕の心に爽やかな風が通っていったからだろう。
春の気持ちのいい季節に、こんな小説に出会えたことをとても嬉しく感じている。
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by masarumizushima | 2014-04-29 04:10 |

巡礼に行きたいと思ったキッカケ

キッカケなんて大したもんじゃないです。
日々積み重なったことに、何か小さなことが引き金になっただけのことだってあります。
犬も食わない夫婦喧嘩だって些細なことだったりするわけです。

でもって最近の巡礼に行きたいっていう欲求はボクの宗教的であり悪魔的儀式好きだったりオカルト好きっていう、人には理解してもらえないだろう趣味の延長線として存在していたわけです。

その引き金になったものはパウロ・コエーリョの「アルケミスト」であり「星の巡礼」だったりします。

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by masarumizushima | 2005-06-14 03:40 |

悪魔的誘い

最近のボクはすごく悪魔的であります。
そもそも学生の時に魔女狩りに感心があったりして今に始まったことではないんです。

そんなわけで今日は悪魔的な本のご紹介。

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by masarumizushima | 2005-05-10 08:48 |

旅をしよう test

7月にアルルの写真フェスティバルに行くことにしました。
正式名称の直訳は「写真との出会い」なんですがね。
ちょいと写真に出会ってまいります。

そして今日はバックパッカーのバイブル「深夜特急」をご紹介。

続き




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by masarumizushima | 2005-05-08 11:44 |

ボクの危険な愛

最近本ばかり紹介してますね。
特に理由もないんですが日常に本が不可欠になってきているようです。
日常と本が密接に繋がっています。

ふと思い出したのがボクの大好きな谷崎潤一郎。
それも痴人の愛
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「悪魔主義」谷崎潤一郎の代表作。カフェの女給から見い出した美少女ナオミに取り憑かれ、破滅へ進んで行く男の物語。

ボクが谷崎潤一郎が大好きになったキッカケの本です。

初めてこの本を読んだ時に衝撃を受けた。
こんなにも本を読んだ事によって感情が爆発することがなかったからだ。

さっき、その時の事を振り返って考えてみた。
あんなにも感情が爆発した原因は谷崎潤一郎の文章がとてもいいというわけではない。
谷崎の文章はとても美しいが痴人の愛ではそこまで文章が綺麗だなという印象はないからだ。
さて何か、と考えた。原因が分かりました。
「感情移入しすぎ」です。これはもう確実。
ボクは谷崎潤一郎が大好きになってから彼の悪魔主義について知りました。
実はボクも悪魔主義なんです。特に女性には。精神的Mです。崇拝しますから。
女性に何を求めるか。色々なものがありますね。笑顔とか優しいとか安心とか数限りない。
ボクの場合、決定的なのは「危険」。他の部分はある程度は許せます。もちろん優しくない人や日常の向上心のない人は問題外ですが。
ずっと気付かないフリしてましたが「危険」らしいです。
どうりで女なんて邪魔なだけだと思っていたわけです。そりゃ写真に恋してるなんて言われちゃいます(涙)
危険は難しいです。バカな女とは違うし、魅力がないと到底出来ないのです。そしてどこか一本大事なネジが外れてないと無理です。そこがバカと紙一重なんです。

そんなわけでナオミにはまっていく主人公の譲治に感情移入しすぎました。
ナオミ恐怖症です。今だにナオミには気をつけろってな感じです。
危険とわかりつつもハマっていく怖さ。まるで麻薬中毒になるように。
その先にあるものは破滅だと分かっているんです。
でも破滅におちいってもいいかなって思っちゃうんです。人はホントに怖いです。
あぁボクはホントにバカです。
ボクは女性で人生が破滅する気がします。これは予言です。
ボクが死んだら笑って下さい。

痴人の愛に興味を持った人はこんなのも見てみて下さい。
谷崎潤一郎 『痴人の愛』レビュー

こんなのもあります。
三島と谷崎はどっちが変態か?ってのに大爆笑。
どっちも好きな僕は当然変態のようです。
谷崎潤一郎『痴人の愛』をゲーム化する!

谷崎潤一郎についてなんですが
母から聞いた話なんですが「痴人の愛」が実話ってホントですか?
知ってる人がいたら教えて下さい。

芦屋市谷崎潤一郎記念館
佐藤春夫との「細君譲渡事件」は伝説です。
佐藤春夫は、1921(大正10)年29歳のとき、谷崎潤一郎の妻 千代子と恋愛関係となり、谷崎は春夫と妻の恋愛をいったんは許し妻を譲ると約束するが、土壇場で翻意(小田原事件)、春夫は谷崎と絶交した。
春夫は、小川タミと結婚をして、谷崎との交友が復活するが、1930(昭和5)年38歳のとき、タミと離婚した。
同年、春夫と千代子の連名で、千代子が長女 鮎子を伴い離別し春夫に嫁ぐ旨を発表。谷崎は千代子夫人と離婚し三者合意を声明した(細君譲渡事件)。

偉人に学ぶ─ダメ人間の美学
↑上のHPは他にも色々な偉人について書いてあってとても面白いですよ。

それにしても80年前の作品とは思えない。


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by masarumizushima | 2005-05-02 23:50 |

個人的なメモ 論理から見た絵と言語

ボクは写真という表現方法をとっている。
言葉でも絵でも映像でも音楽でも他のいかなる表現方法でもなく写真というものを選択して純粋なる写真かどうかはわからないがとにかく写真を選んだわけである。

写真とは関係ないのだが最近読んでいる本で表現に関するとても興味深い事が書いてあったのでメモ代わりにここに書き込んでおこうと思う。

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ウィトゲンシュタインはこう考えた—哲学的思考の全軌跡1912‐1951
絵画と言語は、我々に無限の意味を与えることのでくる二つの形式である。絵画は意味を持ち、何かを語る。しかし、絵画の意味を限定することも、語り尽くすころもできない。それは、絵画の「語り」と「意味」が、言語とは別の次元に存在し、絵画の伝える「思考」が論理空間には存在しないものだからである。論理空間が可能な思考と存在の限界であるとすれば、絵画の意味とは思考可能な宇宙の内部でないところに存在する何かなのである。絵画は意味を持つが、我々はそれを思考できない。絵画は論理を有しないが故に論理空間と無縁であり、まさにそのために言語と思考によって尽くせない意味を有するのである。純粋な絵画は無限の意味を内包する。他方、語られた言葉はどのように短いものであれ、思考の全宇宙とともに与えられる。語られた言葉について考える時とは、思考の宇宙のなかで一つの論理的場所について考えることであり、その場所から無数の思考の場所へと伸びる経路について考えることである。言葉で何かを語るとは、無限に広がる思考の経路への入り口を示すことなのである。

著者、鬼界彰夫


ウィトゲンシュタインについて詳しくはこちらをどうぞ
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
哲学について検索してみるだけで面白いです。

ちなみにボクはこの本の内容がばっちり理解できるほどの脳みそはないです。
なんたって今まで劣等生代表として生きてきてますから。

ウィトゲンシュタインはこう考えた—哲学的思考の全軌跡1912‐1951


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by masarumizushima | 2005-05-01 04:39 |

ポケットに夢を

天気のいい日に公園で本を読むことは最高の贅沢である。

ボクは天気がいいと嬉しくて嬉しくて適当に本をポケットにつっこんでそそくさと出かけることが多いのである。
すると、公園に着いてから気付くのである。
持って来た本がいかにも幸せとは無縁であるかに。
この前はドストエフスキーの「罪と罰」なんて持って行っちゃいました。
そんなもの読めるはずがありません。勘弁して下さい。

そんな天気のいい日にはこの本をオススメ!
寺山修司少女詩集
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こんな可愛い本をポケットにツッコんで散歩に行くわけですが、ボクは意外と可愛いものが好きだったりするんです。
最近は読まないのにポケットに突っ込んで出かけたりします。
ふとした時にこの本の存在を思い出して、さらっと読むだけで気持ちがいいんです。
1ページ読んでは本を閉じ流れる雲に空想をめぐらす。
なんて贅沢なんでしょう。

寺山修司はあしたのジョーの力石徹の“葬儀”で葬儀委員長を務めたりもしてます。
劇作家・詩人・歌人・演出家など色々な方面に多才に活躍した人です。
昭和の日本的なニュアンスを含んでいて一種の見放したような書き方の奥にも温かみのある詩になっています。

最後に詩を一つ抜粋してみます

『 けむりのペンで
  けむりの紙に
  書いたけむりのラブレター

  読まないうちに消えちゃった 』

寺山修司少女詩集


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by masarumizushima | 2005-04-30 13:06 |

不道徳と真面目な人が言ってみる

最近読んだ本の中で面白かったものをご紹介。

不道徳教育講座
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目次だけでも面白さがわかる。
そこでボクが面白いと思ったものを抜粋して載せてみます。

大いにウソをつくべし
人に迷惑をかけて死ぬべし
泥棒の効用について
女から金を搾取すべし
うんとお節介を焼くべし
醜聞を利用すべし
友人を裏切るべし
弱い者をいぢめるべし
できるだけ己惚れよ
流行に従うべし

べしべしべしべし。
不道徳と言っておきながら結局道徳講座になっちゃってるところが三島の真面目さが出ている気がします。不道徳という面から道徳を見ることで新しい道徳の一面と人生ってこんな楽しみ方もあるんだと発見させてくれる本です。小説を読みすぎて本に手が伸びないとき、一つ一つが短いので電車の中で読むのもよし。

ボクはこれを読んでからイラズラ心に火がついてしまいました。
また友達をダリ美術館のトイレに閉じ込めて「超現実」を知らしめたくなります。

まず読むべし。
責任はとりません。思いっきり無責任!


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by masarumizushima | 2005-04-26 00:14 |

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