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真面目な冗談日記


青春という名の一時は自分の中で決定される。なぜ「青春」という言葉に必要に執着するかというと自分がそれを求めているから。全力で走っている人は後ろを振り返らないものです。
どこまで行くか分からない人ほど遠くまで行ってしまうものです。彼はきっとものすごく遠くを見ている。地平線のずっと先まで。

現代の自分を含めた日本の若者から発せられる言葉の節々から伝わってくるものは「不安」です。道筋を失った国家は人々の道筋までわからなくさせてしまう。建て直すのにものすごく時間がかかる。新世紀が始まったばかりなはずなのに世紀末の不安がまだ後をひいている。それが少しなりとも変わってきていると感じるのは僕の希望的憶測なのか、それとも波は必ずあって良い方向に向かっているのか。
僕らには分からないけれど良い方向に向かっていると思いたい。それは僕の願いであります。

最近、流行る映画はどれも過去を懐かしむようで涙を誘います。賞賛したくはないけど泣いてしまいます。なぜ賞賛しないかというと僕がひねくれているのと、僕らは立ち止まって後ろを向いているべきではないと思うから。だって人の目は後ろにはついていない、いつだって前を見ているのだから。これはいわゆるポジティブな考えである。僕は根本的に悲観的な人間だけれども希望を持ちたい。未来を信じたい。

僕らは「個性」という幻想教育を植え付けられて育った世代です。バブル世代の反省を元に生きることとはどういうことかを問題視させられて育ちました。しかし、その答えも出ないまま、問題を問題としてどうするかという不安を背負って生きているのです。僕は思います。個性なんていうものは時代性や社会性や環境に左右されるものだけれどもあえて考える必要はないものではないかと。
こういう個性を売りにする職業を選んでいるものの僕は個性を売りにしているつもりもないし、売りにするつもりもない。ただ良いものを作りたいし、自分が感動したい。神の啓示を受けたいというのに近い感覚だと思う。その点、僕は降霊師に興味があるしシャーマン的なものにも興味があるというのもそこである。悪魔や魔術好きなのもそこである。だからUFOは好きではない。巡礼はしたけれど旅行は嫌いなのはそこにある。
話を元に戻すとそういった個性というものは必ずしも出てしまうものだと思う。それは僕だけの考えかもしれないが自分の好きなことをやっていたら必ずそれが出てしまうのが人間である。仕事が人を作るというが、その通りだと思う。自分を探すとかよく言うが自分を見るけるのは自分の足跡を見たときである。自分の顔は鏡を通してや他人を通してしか見れないものである。分からないものなのだ。そう思えない人もいるだろう。悩んでる人もいるし、戸惑ってる人もいるだろう。しかし、そういう時こそ行動するべきなのだ。動くべきなのだ。悩むなんて時間の無駄だ。僕が悩みからこそ、そう言える。行動しながら悩むべきだ。答えなんて簡単には見つからないのだ。
どうにかなる。まずは行動を起こせ。そう考える時点で僕は三島的なのかもしれない。太宰のような人間には嫌がられるのだろう。辛いと言われたらどうにも出来ない。ただ僕は強くなりたいと思ってしまうから。


いつものように箇条書き駄文日記を書いてしまいましたが、最近の日記は真面目だなと自分で笑いそうになってしまった。日本にいる影響だろうか。
人生は冗談かもしれない。ただ面白おかしく生きて死んでもいいかと思う。
生きるって辛いことの方が多いらしいが、だからこそ面白いのだろう。
あ~真面目だ。クソ真面目だ。「クソ」って好きではない単語をあえて使ってまで言いたいくらい真面目だ。真面目な自分に笑えてくる。
日常で真面目な自分なんてありえないから。
先日、江戸東京美術館で中学生に混ざって二度も警備員に怒られかけた。
その後、友人と初秋葉原&メイド喫茶。

バカなことは面白い。面白いことが世間ではバカだと思われる。バカだと思う人が一番バカなのかもしれない。
そんなわけで今日の締め。

「人生とは冗談である。」
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by masarumizushima | 2006-05-23 01:02

ネクロフィリアとフェティシズム

世の中には変態が多いものである。
僕もその一人であると自負しているわけですが、時代の英雄や有名人にも変態は多いわけである。
そもそもみんな変態な気がしますがそこらへんは僕の勝手なエゴで、自分は一人じゃないと思いたいがための思想に違いないので省略しましょう。

その数々の変態の中から今日は19世紀フランスで一番有名だった女優サラ・ベルナールを紹介しましょう。

まずはwikipediaからの引用。

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サラ・ベルナール(Sarah Bernhardt, 1844年10月22日 – 1923年3月26日)はフランスの舞台女優。

サラ・ベルナールはパリで生まれた。本名はアンリエット・ロジーヌ・ベルナール。"Youle."の名で知られたオランダのユダヤ人の売春婦Judith van Hardの、最年長の生き残った私生児であった。伝えられるところでは、彼の父親はフランス人弁護士のEdouard Bernardであったとのことである。彼女はフランスのカトリック修道院で教育を受けた。生活のため、彼女は女優の経歴と、売春婦の経歴を兼ね合わせた。(当時2つの職業は、大雑把に言って同程度に恥ずべき職業と見做されていた。)彼女は演劇の訓練のため、de Morny公爵の援助によりde Musique et Déclamation芸術学校へ入学した。

彼女の舞台経歴は1862年に、大部分は喜劇と道化芝居から始まった。彼女は1870年代にヨーロッパの舞台で名声を得ると、間もなく需要の多い全ヨーロッパとアメリカでも名声を得た。彼女は間もなく真面目な演劇の女優としての才能も現し、「聖なるサラ」との名を博した。恐らくは19世紀の最も有名な女優だったであろう。

サラ・ベルナールは主として舞台女優であったが、様々なプロダクションからいくつかのシリンダーやディスクによる録音を作った。最も初期の物の1つは、1880年代に行われた、ニューヨークのトーマス・エジソン宅を訪れた際のジャン・ラシーヌの『フェードル』からの朗読である。多才なことに、彼女は視覚的芸術にも熱中し、演劇のみならず絵画や、さらにはAntonio de La Gandaraのモデルとなったのみならず、自分自身の彫刻をも行った。彼女はまた、彼女の人生に亘った一連の本や戯曲を出版しようとした。

画像:Alphonse Mucha Medea.jpg
ミュシャによるポスター彼女の社交生活も同様に、絶え間なく活動的だった。彼女はベルギーの貴族であるリーニュ王子、Charles-Joseph-Eugene-Henriと恋愛関係を持った。彼との間には1864年に、彼女のただ1人の子である作家のモーリス・ベルナールが生まれた。(彼は後にポーランドの王女、Maria Jablonowska(1863-1914)と結婚した。)その後の愛人には数名の芸術家(ギュスターヴ・ドレ、ジョルジュ・クレラン)および俳優(Mounet-Sully、ルー・テリジェン)がいた。彼女は1882年にロンドンでギリシア生まれの俳優、Aristides Damala(aka Jacques Damala)と結婚した。その結婚は、法律上は1889年にDamalaが34歳で死去するまで持ちこたえたが、主として若い俳優のモルヒネ依存により、早々と崩壊した。

1885年にサラは、当時無名の挿絵画家だったアルフォンス・ミュシャにポスター製作を依頼する。年の瀬で主だった画家がクリスマス休暇をとっていたため、急遽ミュシャに白羽の矢が立ったという。ミュシャがこのとき作ったポスター「ジスモンダ」はパリ中で脚光を浴び、ミュシャがアール・ヌーヴォーの象徴として活躍するきっかけとなった。

サラ・ベルナールはまた、1900年の"Le Duel d'Hamlet"にハムレット役でデビューした、無声映画の女優のパイオニアの1人である。(技術的には、この映画には吹替えられたセリフが録音されたシリンダーが付随しており、無声映画ではない。)彼女は8本の活動写真と2本の伝記映画すべてに主演した。伝記映画の後者は、1912年の"Sarah Bernhardt à Belle-Isle"(自宅での彼女の毎日の生活に関する記録映画)を含んでいる。

サラ・ベルナールは1914年、レジオンドヌール勲章を授与された。

重傷を負った10年後の1915年、彼女は右脚を切断し、数ヶ月の間車椅子に座ったままだった。それでも彼女は、木製の義足を必要としたにも関わらず、仕事を続けた。彼女は息子のモーリスの腕の中で息を引き取った。彼女はフランスより国葬の礼を受け、パリのLe Père Lachaise墓地に埋葬された。彼女が豪華な棺の中で就寝したという逸話があるが、この棺は生前に手放し、彼女の埋葬には用いられなかった。

サラ・ベルナールは、バイン街1751のハリウッド名声の歩道に星型がある。

マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』の中の架空の人物である女優La Bermaは、サラ・ベルナールから霊感を与えられた。

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僕がこの中でも注目したいことが2点あります。

一つ目
「当時、女優と売春婦の2つの職業は、大雑把に言って同程度に恥ずべき職業と見做されていた。」

日本でも少し前までは金融会社のCMに出るということはイメージ低下につながるので金融関係のCMに出るタレントは少なかったものである。
売り出し中のタレントしか出ないものだった。そもそもサラ金なんだから当たり前の話である。
イメージの問題なのである。
風俗嬢と売春婦にもかなりのイメージの違いがある。
今の日本では売春婦という呼び方をされる人はいないと思うが結局は呼び方の違いにしかすぎないのだろう。
サラの生きていた時代は女優という職業が恥ずかしいものであったというのは時代と共にここまで変わるものなのだと改めて気づかされた。
日本であっても昔なら男が台所に立つことは女の側から恥ずかしいものであった。人前に立つことが恥ずかしいもの。
男も女房と並んで歩くことが恥ずかしかったのだ。
照れ屋というか何というか。
この頃は羞恥心というものがなくなってきているのだろうか。

フランスにてサラの少し後の時代ならばキキがいた。
フジタやマン・レイなど当時モンパルナスに集まった多く芸術家に好んでモデルにされた人がいた。
しかし彼女は売春はしなかったのだ。
そこも二人の違いとして面白い。
女性として表に立つ女性と元々派手なのに結局は画面の中で裏に落ち着く女性。
サラの方がより芸術家的だったのだろうと思う。

二つ目
「彼女が豪華な棺の中で就寝したという逸話があるが、この棺は生前に手放し、彼女の埋葬には用いられなかった。」

そんな彼女の趣味の中で面白いものがある。
彼女は葬式や屍体に関わるものが大好きで、部屋には1ダースあまりの頭蓋骨が飾ってあったのだという。
wikiから引用したように、棺おけなども好んで自分の部屋に置き、棺の中に入り人を驚かせていたようである。
僕が気になるのは彼女はなぜそのようなことをしたのかということである。
ただの趣味といったらそうなのだが、人から驚かれる趣味というものはそれなりの興味をひくことがあるのだ。
僕が推測するに彼女は生きている中で死を味わい、そして生きることの甘美な甘さにやられていたのではないかと思う。
やってはいけないととをやる楽しみのようなものだ。
逆行療法みたいなもので人は一つの方向からではバランスがとれなくなってしまうのだ。
時代が進み文明が発達し都会になればなるほど死は自分から離れていく。
死とはテレビの向こうでの出来事。周りの出来事。自分には関係ないとまでは思わないけれど、死の実感や怖さはない。生きている実感さえも。

僕も写真を撮るときにそういうのはたまにある。
体に走る緊張感が神経を敏感にさせ感覚がどんどん鋭くなっていく感じがするのだ。
一度、その甘さにやられたら人は戻れないのかもしれない。

タバコや酒と違い、麻薬のように自分の体を蝕んでいく。
そんな味のしみた人間に僕が魅力を感じるのは僕もまた甘美な麻薬に心底蝕まれているせいだろうか。
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by masarumizushima | 2006-05-10 12:40

現在に生きる

とても簡単な事。
今を生きるという事。

誰だって今を生きている。
今しか生きれない。
未来は予想で、過去は記憶にしかすぎない。
結局僕らが生きているのは今しかないのだ。

しかし、時間が長ければ長いほど記憶はそこらじゅうに散らばっている。
良い思い出も、悪い思い出も。
あの人との思い出も、あの子との思い出も。
たまに立ち止まる時、過去の想いや記憶が波のようにやってくる。
過ぎ去った時間は戻らない。
昔の思い出にひたる。
昔は良かったとか、あの頃はいい時代だっとか色々な想いがある。
ただ、ただ悲しい。
悲しい詩を謡う為に生まれた詩人なのかもしれない。
幸せな状況に落ち着かないように、失うことをとても怖いことのように思う。

今を一生懸命生きる事。
前を向く事。
歩き続ける事。
求めるだけではなく、与える事。

たまにやってくる波に人は負けそうになる。
期待されること、必要とされることの喜びを感じよう。
君は一人じゃない。
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by MASARUMIZUSHIMA | 2006-05-08 14:13

世田谷の公園にてひとときをすごしたること

海外に住んでいる人、特にフランスに住んでいる日本人に共通して言えることは、皆文章に刺激を求めていること、いわゆる毒舌好きになるという話を聞いたことがある。
僕も類に漏れず毒舌好きである。自分にも他人にも毒舌が好きなものでハッキリとした方が気持ち良いことが多々ある。ただしそれ相手の状況を考えず無礼極まりないことをずけずけと言うこととは違う。

コインランドリーで僕の洗濯物がくるくると回っている間、近所の松陰神社と国士舘大学にはさまれた若林公園に行き、公園のベンチに座りゆっくりと本のページを開いた。
本のタイトルは「私の美の世界」著者は森茉莉。森鴎外の長女である。茉莉花はジャスミンと読む。良い名前だ。

この本はエッセイなのだが目次を簡単に抜粋しよう。

貧乏サヴァン
夢を買う話
あなたのイノサン、あなたの悪魔
反ヒュウマニズム礼讃
ほんものの贅沢

現在、反ヒュウマニズム礼讃まで読んだが、やっと面白くなってきた。こういうエッセイというものはつまんないものはヤヴァイくらいつまらない。途中で捨ててもいいくらいだ。この本も半分まではつまらないと思っていたがここでやっと面白くなってきた。どうやら僕も類に漏れず刺激を求めてしまう人間になってしまっているようだ。

そこで軽く毒を吐いておこう。
世田谷公園にて多くの人は主に子供と母親という組み合わせである。公園デビューなど想像してしまうがそういうたぐいだろう。現代でも子供は子供であって公園にて無邪気に子供らしく遊び回っている。特に今日のように天気が良い日はなおさらだろう。誰だって気分が良くなってしまうものだ。そこで一つ滑稽に感じたのは母親の姿である。たしかに母親というものは子供を見守らなければいけないが、しかし過剰すぎるのではないかと感じてしまった。子供の後を追いかけ追いかけ、一体何を追っているのか分かりはしない。すぐ逃げ出してしまうペットか?なんて思ってしまう。滑稽だ。
少子化によって子供が少なく、親が子供に期待することも増え、子離れ出来ない親も増えている。しかし、それは子供にとっては良くないのではないかと見ていて感じてしまった。過剰すぎる。自分にないものを子供に求めている気がする。それは子供の人権を尊重しない、もう悪と呼べるものになっているのではないか。

僕は赤ちゃん言葉が嫌いである。
確実に馬鹿にしている。自分より弱いと決め付け見下している。だから僕は赤ちゃん言葉が大嫌いなのである。そういう面では人間は平等ではないのですか?僕は甥っ子のトーマス好きを尊敬している。あのしつこさはたまらない。しかし、凄いと思う。あのエネルギーはとてつもないものである。そういう人間に赤ちゃん言葉なんて使えません。馬鹿に出来ない。そういう所で自分のエゴを満足させることに一体どんな意味があるというのだろう。
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by masarumizushima | 2006-05-03 12:22

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