暇人の戯言

私は暇人だ。確実に。

ともあれこれはblogで日記という束縛から逃れらたのでこうやって一日に何度も書いているわけではある。
日々書きたいことが山のようにあり、その内容の暗さからここに書くには至っていない。
今までにも暗い内容が出てきたではないかと突っ込む人もいると思うが、まだまだ人の目線をいうものを考えて恐縮してしまう。
どうも幼い頃からの劣等感というものが私を深く縛り付けているようである。

自分分析はいつもの日記帳に書くとして、さっき読み終わった「仮面の告白」について一言なり書こうと思っている。
作品評論というよりも読んで思ったことをとりとめもなく書くつもりだ。

仮面の告白は三島由紀夫の著書であるが当時すでに彼の自殺願望が実体なのか虚像なのかはおいておいて、そこに存在した。
私は小学生の頃は読書家だった。それは母の影響だと思われる。
tv gameばかりしていたが本も大量に読んだ。友達と遊びすぎた。やんちゃもしていた。そんなバカな小学生ながら母が言った言葉を覚えている。

「小説家は自殺する」

たしかそんなたぐいの言葉だった。
考えてみればそんなことはないわけだが何人も自殺したのは確かだ。
その中でも三島由紀夫の死に方はすごい。腹を切ったのだから。
リストラされたとかいじめとかそんな理由ではない自殺。
ある意味儀式的でもある。

小説家というものは日本で一番認められている芸術なんではないかと思う。
だからこそ芸術家としてその答えにいきついたのかもしれない。
芸術家という人は狂っている人や変な人のことではない。
勘違いされやすいが、より人間的に生きているせいで日本という社会では特殊な場所にいるのだ。
ここフランスでは尊敬されている。
社会的地位が高いのだ。

早くも思いっきり話がそれているわけだが三島の自殺願望というのは太宰の自殺願望ともまた違っていた。
自殺願望という所だけに焦点を置いて話を進めるが、太宰は人間的な葛藤であるが三島ほそれよりもっと儀式的な気がする。

プラトンが言うように死を恐れるというのは無知ゆえに恐れるっていうのは確かにそうだと思う。誰も知らないんだから。
だから知ったかぶった宗教がいくつも存在する。

しかし現代では多くの宗教の考えも無宗教の考えも情報として身近にあり、その宗教感もうすれていて個人の考えの方が強くなっている。
だからこそ死について考えさせられるのかもしれない。
死んだら生まれ変わるなんて信じてたら幸せだろうな。

でも所詮は無のような気がする。
だからこそ死に何か意味を見いだすのかもしれない。

明日からもっと楽しい事を書こう!
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by masarumizushima | 2004-10-14 01:44

文字と言葉


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